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新潟・中越

更新日:2010/04/05

中越の地理2―交通1

新幹線

上越新幹線が、2008年時点で中越の唯一の新幹線です。路線は[東京・上野・大宮・熊谷・本庄早稲田・高崎・上毛高原・越後湯沢・浦佐・長岡・燕三条・新潟]で、強調した3駅が当サイトで言う「中越」にあります。2004年の中越大震災により、長岡駅近くで新幹線初の脱線事故が起こりましたが、負傷者を一人も出さなかった…というのは一部では有名な話です。

上越新幹線には「とき」と「たにがわ」がありますが、東京-新潟間を結ぶものと新潟県内のみ走るものが「とき」、東京-越後湯沢間を結ぶものが「たにがわ」です。「とき」は有名な(?)鳥で、日本産が絶滅したことでも知られていますし、新潟県の「県の鳥」でもあります。「たにがわ」は群馬と新潟の境にある谷川岳から取られています。多くの便でオール2階建て新幹線・MAXが走っています。昔は「とき」と「あさひ」の2種類があって、どちらも新潟―上野(後に東京)間を行き来しましたが、ときが各駅、あさひが飛ばし系と分かれていました。その後「とき」が廃止となって「あさひ」「たにがわ」の体制になり、長野新幹線「あさま」の始業に伴い、名前が紛らわしくなったので「あさひ」を「とき」に変えた…という歴史があります。

「とき」は東京-新潟間を最速で100分、普通は120分程度で駆け抜けます。料金は東京-新潟間で大人1人10,070円。

三国山脈を始め山がちの場所を通るため、上毛高原-長岡間はトンネルだらけで、残念ながら中越の景色はほとんど楽しめません。中でも、上毛高原-越後湯沢間にある大清水トンネルは22,221mと完成当時世界最長を誇っていました。

なお、一時期は長岡から北陸新幹線が伸びていく…という考想もあったようですが、長野新幹線のせいでもはやほぼあり得ない話とか。

高速道路

高速道路は、関越自動車道と北陸自動車道が通っています。関越自動車道は練馬IC〜長岡JCT、北陸自動車道は米原IC〜長岡JCT〜新潟中央JCTの路線です。

中越地方のインターチェンジとしては、関越自動車道では(練馬・高崎→)[関越トンネル・湯沢IC・塩沢石打IC・六日町IC・小出IC・堀之内IC・越後川口IC・小千谷IC・長岡IC・長岡JCT(終点)]、北陸自動車道では(米原・富山→)[米山IC・柏崎IC・西山IC・長岡JCT・中之島見附IC](→新潟)があります。北陸自動車道の途中で関越自動車道が合流するように見えますが、実際には関越・長岡IC-北陸・見附中之島IC間に主線があって、柏崎・上越方面へ分かれるような道筋になっています。

長岡JCT付近

関越自動車道は、湯沢の土樽PAと群馬の谷川岳PAの間で関越トンネルという長大トンネルを持っています。道路トンネルでは日本で一番長いとか。10km以上もあります。

新潟の交通の裏事情?

中越を代表する政治家と言えば、良くも悪くも有名なかの故・田中角栄元首相です。旧西山町(現出雲崎町柏崎市)の出身です。もともとは建築関係の人だったらしいですが、戦後に国会議員となり、建築士法や道路法を提出・成立させ、若くして国務大臣になり、著書『日本列島改造論』を出し、そして総理大臣にまで上り詰めたという稀代の豪傑です。

この『日本列島改造論』というのが、簡単に言えば新幹線や高速道路をバシバシ建てて日本を盛り上げましょうということらしいのですが(すみません、読んだこと無いので…今度図書館を探しに行ってきます)、彼の地盤である新潟県は特にその恩恵に預かったと言われ(批判され)ています。すなわち、当時「裏日本」と蔑まれてすらいた新潟なんぞに上越新幹線や関越自動車道を引っ張ってこられたのは、田中角栄のおかげだ…と。

私はその辺の事情が分からないですし、あんまり勉強する気もないですので、真偽の程はわかりません。ただ、少なからず上越新幹線や関越自動車道は新潟県の発展に寄与し、やがて「本州日本海側唯一の政令指定都市(2007年制定時)・新潟市」として結実したのではないか…と考えています。

で、田中角栄の選挙地盤というのは、長岡にありました。これは中選挙区時代の「新潟3区」で、現在の長岡市出雲崎町柏崎市刈羽村小千谷市見附市魚沼市南魚沼市湯沢町三条市田上町加茂市が該当します。逆に言えば、新潟県が想定している「中越地方」から、旧十日町市津南町を除いた地域、ということになります。そして奇しくも、新しく新幹線や関越道が通ったのは、湯沢から南魚沼・魚沼・川口・小千谷・長岡と旧新潟3区を縦断するルート。これぞまさしく田中角栄の選挙戦術で、十日町は煮え湯を飲まされた…と一部では騒がれています。

下の地図は、黒線が新幹線、緑線が高速道路です。確かに下の地図を見ると、石打の辺りまでは理解できそうですが、そこからワザワザ六日町方面に逸れていき、敢えて小出まで遠回りしてカクンと曲がり、堀之内・越後川口の辺りは完全に西方向に向かいつつ、また急に角度を変えて小千谷・長岡というようになっています。これなら、石打から素直に十日町に伸びて小千谷・長岡に入っていくほうが単純で良いのではないか…と。

新幹線と高速道路

もっとも、これはわざと田中角栄が選挙のためにこんなにくねった偏狭なルートを選んだ…というワケではないのです。ここは地理的にも魚野川による河岸段丘で比較的なだらかであり、もともと上越線や国道17号線という立派な幹線が通っていて、旧塩沢町・旧六日町・旧大和町・旧小出町・旧堀之内町・旧川口町というある程度まとまった「町」が並んでいます。

一方、十日町を経由するルートは一件早そうですが、(前節・中越の地理1―地勢2に名前だけ出した)「魚沼丘陵」を貫く形となるので長大なトンネル工事が必要となる点、また小千谷までの間に十日町以外の重要拠点が無い点で、選びにくいルートだったと言えます。

…とは言うものの、新幹線に関しては湯沢〜浦佐〜長岡の間ほとんどトンネルであり、これは恐らくは雪対策だと思いますが、十日町でなく浦佐を選択したことに関してはあまり合理的な説明ができないのかもしれません。

ちなみに、もし新幹線が十日町ルートを採ったと妄想してみると、ちょうど(既に閉鎖された)山本山高原スキー場の辺りをかすめるのが自然なライン取りとなり、場合によってはガーラ湯沢駅みたいに「山本山高原スキー場駅」みたいなのが出来たのかもしれません…。

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