更新日:2010/04/05
前のページでは旧○○郡が、昭和期のどの市町村に属していたのかを追加情報として記しましたが、ここで現在のどんな市町村なのかを詳しくご紹介しておきます。
なお、「旧○○市」とは、平成の大合併前の旧市域のことを指します。
現長岡の、旧中之島を除く川東側全てを中心とした地域ですが、他の郡に少しずつ取られてもいます。
小千谷・十日町と、昭和時代の北魚沼郡・中魚沼郡・南魚沼郡を合わせた範囲です。
おおざっぱに言えば、現長岡の川西側+出雲崎+片貝ということになります。
要するに現柏崎+刈羽+小国です。
合併に伴ってやや例外的に中越としています。
このサイトでは例外的に中越として扱っています。見附と中之島です。
地図にすると、こういう感じになります。境界線はいい加減で、越境合併などの細かいところは全く考慮していません。
今でこそ市町村はとても大きくなり、岐阜県高山市のように大阪府よりも広大な市ができるようになりましたが、明治時代の町村は非常に小さいものでした。具体的にいえば、私たちが住んでいる「○○市●●町○丁目○番○号」の「●●町」くらいの町村ばかりだったのです。要するに、それだけの数の町村があった、ということ。
例えば、2008年現在の⇒刈羽村は、現代の感覚では非常に小さい村ですが、明治時代にはその中に入和田村,滝谷村,滝谷新田村,宝蔵寺新田,西元寺村,寺尾村,十日市村,井岡村,大塚村,新屋敷村,刈羽村,割町新田,上高町村,下高町村,正明寺村,赤田町方村,赤田北方村,油田村,黒川村…と、これだけの数の「村」がありました。これらは自然発生にもとづく単位です。それが、明治の大合併で市制町村制を布くに当たって、勝山村,刈羽村,東城村,油田村と整理され(すべて「刈羽郡」がつきます)、紆余曲折を経て現在の⇒刈羽村になった…というわけです。
要するに、⇒刈羽村大字十日市とか⇒刈羽村大字上高町とか⇒刈羽村大字油田とか、「刈羽郡大字○○」の○○の部分は、昔の町村名だった、というわけですね。明治の大合併からそういう風になったのです。
ちなみに、現在の町名に「大字」が付かない場合でも本質的な違いはないことも多く、たとえば「⇒長岡市草生津」「⇒長岡市十日町」も、それぞれ昔は「古志郡草生津町」「古志郡十日町村」でした。なお、昔は全ての「市町村」に「道路元標」というモニュメントを作ることが法律で定められていて、現在でも「十日町村道路元標」なんてのが残ってるらしいですよ。
もちろん、全ての「○○市●●町」の「●●町」に対応する旧市町村があるというわけではありません。例えば、⇒小千谷市なんかは割とアグレッシヴで、昔の「寺町・土手町・横町・孫八町・冬堀町」を合わせて「平成町」にしてしまったり、「大字薭生」(注:「薭」はUnicode使用。くさかんむりに稗で「ひ」と読む。これはもともと「薭生村」でした)の中で慣用的に「旭町」と呼ばれていた地区の大部分を正式に「⇒小千谷市旭町」にしてしまったり、同じく「大字ひ生」のなかの「東大通り」「中央通り」の周辺を「⇒小千谷市東栄町」にしてしまったり。そうかといって、「元中子」「信濃町」「山寺」とかを独立した町名にしてはいないみたいだし…うーん。