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新潟・中越

更新日:2010/04/05

中越とは?

はじめに

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大まかな位置

「中越」…ナカゴシではありません、チュウエツです。

中越は、2004年10月23日の新潟県中越地震(中越大震災)および2007年7月16日の新潟県中越沖地震と、2度の大震災に見舞われた地域として日本全国の皆様もご存じのことと思います。ご存じでなければダメです。

が、今回はそれとは全く関係なく、ただ私が中越っ子だからという理由のみで、中越のすばらしさをお伝えしていこうと思います。

新潟県は、昔で言うところの「越後国〔エチゴノクニ〕(本州側)と「佐渡国(佐渡島)をあわせた県域を持つ地方公共団体です。奈良時代あたりでは、福井から北東に延びる日本海沿岸の地域、つまり現代風に言うと「北陸地域」のことを、「越国〔コシノクニ〕」と呼んでいました。それがいつしか、「越前国」「越中国」「越後国」と分かれました(途中で加賀国と能登国が入りますが…)。当時の日本の中心は畿内、つまり奈良・京都の辺りであり、畿内に近い方が扱いが良く、福井が「前」、そして新潟が「後」ということになります。

越後は南北に長いので、さらに3つに分けられます。即ち、京都に近い方から、上越中越下越です。県外の人間が分かりにくいこととして、新潟市は北よりの下越地方であり、また上越線・上越新幹線は上越地方を通りません。上越線・上越新幹線の「上越」は、野国〔コウズケノクニ〕<群馬県>と後国<新潟県>を結ぶ、という意味です。

曖昧な境界線

中越地方の中心は、言うまでもなく長岡市です。長岡市は2008年5月現在で人口28万人、新潟県内では人口第2位の市です。以前は18万人程度だったのですが(それでも第2位だった)、平成の大合併とやらでグチャグチャといろんな所を吸収合併してイカサマティックに人口を増やしています。

中越がどこからどこまでなのかは、実は一定の見解はないとされています。長岡はもちろん、小千谷市を含む旧魚沼郡全域・旧山古志村・旧三島郡・見附市くらいまではだいたい文句なく中越です。旧刈羽郡もほとんどの場合中越ですが、まれに上越に含むこともあります。また三条市燕市を中心としたいわゆる「県央地域」は曖昧なゾーンで、下越と見なすことも多いです。

なお、本稿での「旧○○郡」とは、昭和中〜後期の「○○郡」(明治時代の「郡区町村編制法」に由来します)ではなく、江戸時代くらいまでの「○○郡」を想定しています。「郡」とはそもそも、奈良時代の律令制で「国」の下に置かれた行政区画で(中学校で国司と郡司って習いますよね)、国をいくつかに分けるものです。明治時代までに越後国の場合は以下の佐渡郡を除く7つに落ち着きました(佐渡郡は明治時代に佐渡国の雑太郡・羽茂郡・加茂郡をまとめたものです)。生活圏の実態や実力者間の思惑などで「越境合併」してたりするので、まるっきりこの通りではありません。

ちなみに、新潟県の他の郡は次のようになっています。

魚沼・蒲原・頸城に比べると、古志・三島・刈羽は狭いようですが、もともとこの3郡は「古志郡」として一つだったようです。それにしても、蒲原はかなり広いですが…

ちなみに、小千谷市の前身は北魚沼郡小千谷町十日町市の前身は中魚沼郡十日町でした。人口増や合併などで市制が施行されると、郡から離脱するという考え方なのです。

新潟県は、Webサイトで次のように上中下越を区分しています。

新潟県がWebサイト上で示す上中下越の分類

この図では赤が中越地方です。長岡市見附市・旧魚沼郡・旧三島郡・旧刈羽郡の他に、三条市加茂市田上町が中越に入り、燕市弥彦村を含まない分類になっています。

「中越」私案

このサイトでは次のように考えてみたいと思います。

これにより、このサイトでの中越は、以下の範囲としてみます。

長岡市柏崎市見附市小千谷市魚沼市十日町市南魚沼市出雲崎町湯沢町津南町刈羽村

このサイトでの中越

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