更新日:2010/04/05
本当であれば、行政に関して事細かに高説を垂れたいのですが、残念ながら私には知識もないですし、実はあんまり興味もありません。議員がどうとか、財政がどうとか、そういったことは『⇒財界にいがた』でも見てください。不勉強にして、私は一度も読んだことがないのですが。
それはそれとして、もう少しざっくばらんな意味で「勢力」というくくりで中越を振り返ってみたいと思います。
中越で圧倒的な力を誇っているのは、やはり⇒長岡市です。行政的な意味ではよく判りませんが、平成の大合併前から人口は18万と比較的多いですので、鉄道・道路が集まりました。その結果、人が流入しやすい環境になっています。その周囲は、⇒小千谷市や⇒見附市、あるいは⇒柏崎市さえを含めて、長岡のベッドタウンのようでもあります。
平成の大合併に関して、旧川口町に関するこんな調査があります。合併が始まる前、県が提示した合併案は、⇒小千谷市と旧川口町を合併させて一つの市にする、というものでした。2003年、川口側はそれを拒否しました。旧川口町は交通の要所としての歴史がありながら、現代では非常に振るいません。小千谷との合併では、名目がどうであれ、実態は吸収合併になり埋没してしまう…というのが理由のようです。しかし、2004年10月23日、あの⇒中越大震災がありました。それ以前より厳しかった町の状況はさらに厳しくなります。そして2005年、合併推進派の町長が当選しますが…⇒小千谷市、さらに⇒魚沼市は、そんな厳しい旧川口町との合併には前向きにならず。そして、2006年、旧川口町はこんな調査を行いました。曰く、『市町村合併に関する町民意向調査』。「合併先としてどの自治体を希望するか」という設問に対し、その回答選択肢は以下の通り。
…もちろん、⇒小千谷市はそんな話は了解していません。小千谷は自立の道を歩むと決めています。
しかしまあ、それだけ⇒長岡市の力が大きいということなのでしょう。ちなみに、旧川口町は⇒長岡市とは隣接していません。だからこそ余計に一人で長岡に吸収される道を採りづらく、小千谷を巻き込まざるを得ない…という事情があったのだと思います。
結局、2010年3月になって、この飛び地合併は実現してしまいました。旧郡の境、つまり歴史的な流れを超えて、端からは合理性だけを追求したかのようにしか見えないこのめちゃくちゃな合併は、ある意味では仕方がないこととはいえ、少なくとも私は非常に残念です。
さて、現在の長岡は、旧川口町を除く部分だけでも歴史の流れや地勢を半ば無視した市域を持っています。その最たるものが、旧刈羽郡小国町や旧三島郡寺泊町の併呑と言えるでしょう。
旧小国町はもともと小国盆地とも呼ばれた渋海川流域に開けた町です。国道291号で⇒柏崎市・⇒小千谷市、国道403〜404号で⇒長岡市旧越路町との繋がりがあるのですが、歴史的には同じ旧刈羽郡の柏崎と近く、市街地との距離的には小千谷が近いです。しかし、平地が渋海川に沿って作られたこともあってか、住宅地域はむしろ国道403〜404号のほうで旧越路町とつながっていて、そのためか結局長岡と合併することになりました。その結果、⇒長岡市の南西部はまるで虫垂のように不自然な形になっています。まあ、「渋海川流域を合併した結果」と言えば、その通りなのですが…
寺泊に到っては、三島郡の旧和島村・旧与板町が長岡に飲み込まれるついでに合併したかのような形になっています。長岡の中心部からはかなり遠く、むしろ⇒燕市や⇒三条市の方が近いことに加え、国道で直接結ばれているわけでもなく(これは三条地域もそうなんですが)、あんまり長岡と密接な関わりがあるというワケでもないはずですが…。長岡としては、市域に海岸線が加わってメリットもあった(?)かもしれませんが、寺泊にとっては良い選択肢だったのかどうか。これは、旧三島郡に大きな市が育たなかったのも遠因かもしれません。ちなみに、この合併により⇒長岡市は⇒新潟市とも市境を接することになりましたとさ。ちなみに、平成の大合併で新たに⇒長岡市となった旧市町村は、全て「編入合併」の形で長岡に吸収されています。
その三島郡で唯一合併せずに残ったのが、⇒出雲崎町です。元々は、他の三島郡の町村である和島・与板と共に「良寛町」を作ろうとしていたのですが、平成16年の議会で合併反対が突きつけられました。そして、和島と与板は長岡に吸収され、(もう一つの三島郡の町である)寺泊まで長岡に嫁入りしてしまい、出雲崎はひとりぼっちに…
その他、⇒見附市も独立の方向で固まっています。新潟県でもっとも面積が狭い市として知られています。
⇒刈羽村は非常に特殊な事情で独立しています。
2008年度の「広報かりわ」によると財政力指数が1.72と全国/新潟県平均(0.5程度)を大きく上回っています。地元民なら言うまでもないことですが、これは⇒柏崎刈羽原子力発電所のおかげです。電源立地促進対策交付金が歳入の1割強あるのですが、いわゆる普通の「村税」の部分にも原発の影響がカナリあるのでしょう。話によると、刈羽の高齢者や子供には他地域では考えられない手厚い「プラス」があるとかないとか。合併するとしたら柏崎市なのでしょうが、合併すれば村民にとってはこの利点が失われることになるわけで、そのために独立していられる…というのが嫉妬深い他地域の大勢の見方です。もちろん、原発があることによる「リスク」を覚悟してのことですので、不当な文句は言えないのかもしれません。
同じ旧刈羽郡の旧西山町が⇒柏崎市と合併したため、四方を⇒柏崎市に囲まれた形になっています。しかし⇒刈羽村には飛び地があり、⇒長岡市とも境を接しています。もし原発事業が将来的にダメになるようなことがあれば、地勢を無視して刈羽が長岡に吸収されることもあるのかも…
魚沼市は、旧北魚沼郡の旧川口町以外の各町村が合併してできた新市です。古い時代、北魚沼郡の郡役所は⇒小千谷市に置かれていたので、それを除いた北魚沼の中心は旧小出町ということになり、市役所も小出駅の割と近くに置かれることになりました(⇒「ちず丸」の該当地域)。人口の上から言っても旧小出町が一番多かったのですが、魚沼地域振興局が小出に置かれるなど、この地域では以前から何となく小出が中心みたいになっていたので、ある意味ごく自然な流れだったのでしょう。ただし、手続き上は「対等合併」のようで、2008年12月に新しい市長が決まるまでは旧守門村の村長が市長代理の形を取っていたらしいです。
旧中魚沼郡は、⇒津南町を除いて、すっかり⇒十日町市に吸い取られる形になりました(形の上では新設合併)。もっとも、平成の大合併前夜に中魚沼郡に残っていたのは、津南の他には旧川西町と旧中里村だけでした。この2町村と同時に⇒十日町市となった旧東頸城郡の旧松代町・旧松之山町とを合わせても旧十日町市の人口には遠く及ばず、この地域の中心が十日町にあるのは明らかです。津南が合併しなかったのは住民投票の結果だとか。
旧南魚沼郡は、もともと⇒南魚沼市となった旧六日町・旧大和町・旧塩沢町と⇒湯沢町の4町だけでした。⇒南魚沼市は旧六日町・旧大和町が先に合併しています。新幹線の駅こそ旧大和(浦佐駅)にありましたが、六日町の方が倍の人口があり、結果的に南魚沼市役所は六日町駅前に作られました。旧塩沢が編入合併したのはそのちょっと後です。そして、⇒湯沢町が合併しなかったのは湯沢の独特の産業構造(スキー観光中心)が主因とのことですが…やっぱり税収のためだという妬みもいくらか聞かれます。
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